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「トラブルコンダクターものがたり」② 天使と悪魔の顔 [暴露ばなし]

~ 第一章 天使が悪魔に魅入られるとき ~

幼稚園から小学校低学年の頃は「多忙極めるスケジュール」を消化していた。
また、死にかけたことも2度ほどあるし、身体の弱い子だったのだろう。
「日本舞踊」を踊ることは、私に課せられた「義務」であった。
会社社長の「父」と日本舞踊師範の「母」に育てられた私なのだが、この頃の「父」の記憶はほとんどない。ただいつも父の布団の中で寝ていたことぐらいだろうか?
日本舞踊の世界では、「母」は姉弟子になる。師範は自分の子供を、「お師匠さん」に預けるのが慣わしだったらしい。週に1度のお師匠さんのお稽古と、週に3度の姉弟子のお稽古を延々と繰り返される日々。その他週に2度のピアノの稽古や習字。
そして、柔道や剣道・・・私は「母」の操り人形だったに違いない。
普段着も洋服より、和服の着用が多かった。この和服も「呉服屋」にてのお誂えであった。日本舞踊で言えば「筋がよかった」らしく、「藤娘」はことのほか好評であり、母の姉妹弟子の発表会にも、「ゲスト出演」をするほどだった。(今ではその片鱗もないのだが・・)
今思えば残念な気もしないわけでもない。あの頃は「親睦旅行」と言えば女性用の大浴場に入り、父の会社の飲み会と言えばきれいなホステスさんの膝の上が私の定位置だった。もし、戻れることができるなら「あの頃」に戻りたいと思うのは、根っからの助平オヤジだからだろうか・・・・。
因みに毎日の入浴もお手伝い(行儀見習い)の若いお姉さんと一緒だったことも付け加えねばならないだろう。
私の幼少の頃の「貧富の差」は今より凄かった。今では自分の生活を「下流」と認識する人は少ないだろうが、あの頃はそれなりに多かった。
幸い「衣食住」には事欠かなかったし、どちらかと言えば「上流家庭」だったので、おやつは頂き物のお菓子が山積み状態だった。
そのお菓子を近所の子供達と一緒に食べたり、おもちゃを貸してあげたり・・・
また、ご近所の人に会うと必ず挨拶のする「天使」だったはずの、私が悪魔に魅入られたのは、小学校4年生の春のことだった。
母が出かけていったきり、家に戻ることがなくなったのである。
それまで、「碌に口を利いたことのない父」との父子家庭のはじまりでもある。
まあ普通なら「お父さんがいるんだからいいじゃないか」とか、「何甘ったれているんだ」とかお叱りを頂くわけだが、私には特殊の事情が存在したのである。
「父」には大勢の兄や姉妹がいる。その叔父うあ叔母には「わけ隔てなく」可愛がられていたのだが、一人だけ例外が存在した。それは父の末妹であり、「何かにつれ」私は怒られていたし、嫌われていた。この叔母の子供とケンカをした際も、私だけ怒られ、「この貰われッ子が!」と言われたのが、「悪魔との契約」を結んだ瞬間かもしれない。他の叔父や叔母はそんなことの発覚後も、私を可愛がってくれたしほっとけば良かっただけかもしれないが、「全ての真実」を知ったというより、無理やり知らされた私は、事態の大きさを理解するにはその「小さな心」は、耐え切れずに「ズタズタに切り裂かれた」のである。

-「死んだら、楽になれるのかな?」と考えたこと-
その頃から私は「ただ死ぬ事」を考える陰鬱な子供になっていたのだろう。
外面では「いい子にしなければ・・・」と考え、いい子を装っていたのだが、その内面はすっかり悪魔によりその心を奪われていた。
「ココから飛んだら、死んじゃうかな?」と思った瞬間、落ちてゆく私。その姿を上空から見ている私の記憶がある。
だが、その瞬間金色の光が私を包み込み、ほとんどケガなく着地。
「養母」が、「眠れない」と言って飲んでいた薬。睡眠薬の瓶を隠し持っていたときもあったが、その薬を飲むことなく・・と言うよりいつの間にか没収されていたし、川に入水を図った際も散歩中の人に救い出された。
きっと神様が「まだこっちに来るのは早い」とでも言っているかのようだった。
でも、「救いの手」は私の心のわだかまりを取り除いてはくれない。
「完全に悪魔に支配された心」は、人との交流や友情さえも拒絶反応するようにしたのである。それは、クラスメートの母親がその子に言った言葉。
「片親の子と遊んじゃいけない」だった。
私はそれ以来、「人を傷つけること」を平気に思うようになったし、「人の不幸が喜び」に感じるようになった。そう自分でも言うのが何だが、「嫌なやつ」に成り下がっていったのである。

-「嫌な奴」の処世術-
すっかり「現世の悪魔」の見習いになった。
「死ぬ事」よりも「人を傷つけること」に生きがいを見出したのである。
「表面上は普通の・・どこにでもいる子供」を演じる。だが、裏に廻れば「大人も想像のつかないワル」になっていたわけだ。
最もその「口車」に乗った奴が未熟なだけだったのだが・・・・
そんな未熟な奴の「考え」を支配するのは「悪魔の申し子」には簡単なこと。ただ、「煽る」ことさえすればいいだけのことだ。その結果「争い」が生まれ、人々が傷ついてゆく。そんな毎日を送ればいいだけのこと。私の「心」を覗けるのは「神様」ぐらいだったろうが、「単純・明解」な教師連は「不憫」が先にあったのか?そんな「心」を見抜けるはずもない。
あのまま・・・・そう、あのまま続けば・・・・・今の私は存在すらしていなかったろう。


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