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「トラブルコンダクター ものがたり」23話「one to one」 [暴露ばなし]

~「ねえ。頼みあるんだけど・・・・」~
20歳台前半。いちばん生意気盛りだったかもしれない。
まだ、20歳をわずかに超えた頃で当時の年収で1000万円近く・・・・
でもこの稼ぎ・・・・家庭を犠牲にしての稼ぎ・・・・。
まだ、正式な入籍をしていない。つまり、妻と娘は「母子家庭」扱い。
だから、いくばくかのパート収入と生活保護を受けている状態。何故このような結果になったのか?と言うと、「麻薬や武器」には手を染めていないのだが、「買春あっせん」もどきも「業務」の一環。となれば・・・・いつお縄になってもおかしくないだろう。
愛娘も妻も「カヤの外」に置いて置きたかったのかもしれない。
多分、その頃の私の「交際費」は500万円を超えていたに違いない。
「アサイン担当」やうるさいお局さんに「せっせと貢物」をし、「いいツアー」つまり稼げるツアーにアサインしてもらわねばならない。
また、その当時の私の上客は「お姫様」と言われるひとたち。
つまり、風俗嬢をはじめお水系で働く女性が「ターゲット」である。重ねて言わせていただくが、今でこそその面影は「全く!」と言ってないのだが、ジャニーズ系。先輩に乞われて2週間ほど「ホスト稼業」なんぞもやっていたので、このような「お姫様」の扱いには慣れていたのである。
「上流な生活ほど・・・上客を掴める」と言う先輩の教え。その頃、飲みに行くと言えばほとんど銀座かホテルのラウンジ。全く若造のクセにとんでもない奴。
初めて「銀座のクラブ」に足を踏み入れたのは、20歳の頃。会社の上司に「自分達だけ良い思いをして・・・・・」とか、「バラそうかな?」とか言って、私の班10名を連れて行く羽目になった上司・・・・その請求は100万とも200万とも言っていたがどうでもいいこと。そりゃそうだろう。私1人でレミーを1本半開けてしまったし・・・・・。
その後、この店にはちょくちょく顔を出し・・・・「座れば5万。飲めば10万」と言われる店で確か・・・・1回2万くらいで飲ませて頂いていた。ママ曰く、「おじいちゃんばかりじゃ・・・・若いエキス・・・・・」このままには、後輩を献上しておいたが・・・・。
何回か店に行けばすっかり「お馴染みさん。」この店で知り合った「オ-さん」は、某不動産会社の社長。この社長の会社だけでも年間2000万円くらい・・・私は仲介料として50万円ほどだが・・・・ご利用いただいた。
ある日のことである。ママからの電話で「開店前に来い!」と言われ、お店へいく。
そこには、ママの双子の妹。・・やはり、お水系。
ママ曰く。「この子パリに行きたいらしいのだけど・・・」
「はあ、ツアーに参加されるのが一番かと・・・」
そんなことで呼び出されたのか?と思いながら・・・・
「ねえ。頼みあるんだけどォ~」といきなり、ママの「勧誘」。
「はい。なんでしょう?ママには普段安く飲ませてもらってるので・・・」
「この子、パリに連れてってくんない?」
「はぁ。」
「お客1人で添乗員1名で幾らかかるの?」
「one to one.ですか?そうですね。単純に言えば2名分の交通費・・・宿泊費・・・ラウンド・・・それに私の日当が正規料金ですので1日25000円・・・・・・およそですけど、150万は下らないかと・・・・・」
「なんだ、そんなもの・・・・ハイ。とりあえず200万。預けておくから・・・・」
こうして初めての「one to one」に出かけることになったのである。
大体、「お水系」の人たちは、団体行動を嫌う人が多い。このお店の女の子とは全て「one to one」で飛んだほど・・・・まあ、私からすれば朝早くから夜遅くまで引きずり廻されなくて済むし、日当も同じ。お客様が1人でけ・・しかも、ご婦人となれば・・・・・
大体が、「お買い物旅行」なので、通訳1名を付け私は荷物持ち・・・・
まあ、旅行の詳細は書くと、「アノヤロー・・1人だけいい思いしやがって・・・」と、悪友から小突き回されるので、この辺にしておく。まあ、楽しい「お仕事」だったのは言うまでもない。

~悲しみは消えない~
またもや、ママからのお呼び出しで店へ行く。いろんなお客様を紹介くださるので、
「貞操の危機!?」と感じた事もある。ママは「あはは・・・冗談でしょ?アンタはそうねぇ~出来の悪い弟みたいなものだから・・・・・」と笑い飛ばされる。-ごもっとも-
だから、私も「ママ」ではなく「お姉さ~ま。」とやる。まあ、このママ。手数料も取らないので、P国で貰った「ダイヤ」やミンクなどのショールを献上しているのだが・・・
「ねぇ。弟!頼みあんだけど・・・・・」
「お姉さまの頼みでしたら・・・・・男はもう献上できないけど・・・・・」
「馬鹿ねぇ。あのおじいちゃんなんだけど・・・・」
「ああ、Hさんね。それが?」
「あのHさん。南のとある島へ連れてってあげてくんない?」
「へ?」
「あの方のお子さん・・・・そこで、戦死されて・・・・」
「慰霊?」
「うん。そうなんだけど・・・」
「慰霊団にでも参加されればいいのに・・・」
「そうなんだけど・・・・あの方、人前で泣くわけいかん!ってタイプで・・・」
「ふ~ん。いいよ。でも・・・・・」
「解ってるわよ。私からも特別にお小遣いあげるから・・・・」
「お小遣いより・・・いいお客さん紹介して欲しいんだけど・・・・・」
このおじいさんをどこの島へお連れしたかは、内緒である。
ただ、このおじいさんのお子さんが亡くなった場所に佇む姿を、私は何故か涙が溢れてきて直視できなかったのを今でも覚えている。
このおじいさんとの約束がある、「どこへ行ったかはナイショで・・・・また、訪れたいがわしゃもう無理だろう・・・・添乗さん。もしまた訪れることがあれば・・・・頼みます。」
この旅から、1ヵ月後に「訃報」が届く。Hさんのご冥福をお祈りする。
まだ・・・あの島へ再訪する機会はない。行けば行けるのだが・・・・・何故か足が前に行こうとしないのは何故なのだろうか・・・・・。


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