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オストドのひとりごと。「家族のありがたみ・・・・」 [エッセイ]

当たり前の日々のありがたさ・・・

仕事に逃げる自分がいる。
子供の頃、「絶対・・あんな大人になんかならない。家族との時間を大切にしたい・・・・」
幼心に父の姿を見て決意したはずだった。
あの阪神大震災に被災したときでさえ、私は仕事より家族を選んで会社の一部の人間にヒンシュクを買った。
忘れもしない平成7年1月17日午前5時46分52秒。淡路島北部。北緯34度35.9分、東経135度2.1分 深さ16Km地点を震源とするマグネチュード7.3の揺れが阪神地方を襲った。
当時、兵庫県神戸市東灘区の御影という所の神社裏の賃貸マンション1階に居を構えていた私。
何故、そのとき私は神戸に住んでいたのだろうか?それは・・・平成5年の12月に遡ることになる。

「お父さんと一緒に毎日いたい。」 そんな娘の願いをサンタクロースが受け入れ・・・私のツアコン生活に終止符を打たせた。私は少しでも多く稼がなければならない。東京海上の研修生になり(当時の給料が確か初任給40万円)そして知り合いだった今は亡き人になってしまっている大恩人に拾われ・・・某健康食品会社のグループ企業である保険部に入社したのが、平成5年4月。そしてその年の12月に大阪支社営業主任の辞令を受け・・平成6年2月に家族を連れ
千葉県市川市から転居したのだ。
本当は単身赴任するつもりだった。だが、ある人の「家族は出来るだけ一緒にいなさい」の一言で単身ではなく、家族を連れ着任した。
平凡な・・当たり前とはちょと言えない(米不足で買えなかったことなど)けど、それなりに幸せな日々を過ごしていた。
そこを突然・・自然の猛威・・いや・・・慢心しすぎた人々を諌めるがごとく神様の与えた試練である阪神大震災。
私はその自然の猛威にただ恐れ慄き、頭から布団を被り・・・横に寝ていた妻を守るがごとく妻の上で盾になるしか出来なかった。やっと通じた電話で会社や妻の両親そして父の会社に電話をした。
後から聞いた話なんだが、次々と伝わる大きな惨状劇に、会社ノスタッフを始めとして多くの人々にご心配そして身に余るほどのご援助をいただいた。会社からは特別休暇をその週一杯頂いたのだが、電気も水道もガスもない。そして次々に伝わってくる娘の友達の死。
「西宮北口駅から電車が動いているらしいぞ」
その声を聞いた私は心を鬼にして嫌がる娘を強制的に妻の両親の元へ強制疎開させた。幼い心では受け入れがたい友達の死を、娘の耳に入れたくなかった。
私は更に・・残っていた有給休暇で3日間休暇を取った。いつ襲ってくるかもしれない余震に備え、愛する妻を守らなければならない。会社の顧問からは、「仕事に戻らない奴なんかクビにしてしまえ」と言われた。この顧問はとある日本でも最大級の加入者を誇る健康保険組合のトップだった人。だが他の顧問や社長の考えは違った。
「家族を守るために仕事を休んでなにが悪い。」
某大手都市銀行の海外拠点の支店長経験者や大恩人である社長は、私のクビを切る代わりにその顧問の解雇を決めたのだった。
私が仕事に復帰したのは余震が少なくなり、代行バスが運転されるようになってからだった。
京都営業所の所長に昇格していた私は、通勤に要する時間8時間。勤務2時間。ご近所に頼まれた買い物2時間が毎日のスケジュールだった。
電気が復旧したのは、確か一番最後だった。ガス管や上下水道の復旧は見通しすら立っていなかった。
そうして・・・私は妻を連れ・・・神戸の街の復旧に手を貸す事もせず・・・逃げ出したのは1月31日のことだった。
京都市内の外れに賃貸マンションの社宅を用意してもらい、壊れ果てた家電・家具を多くの方から頂いた温かい援助のおかげで買い揃え(各お店からもお見舞いと称して特別に仕入れ価格でお譲りいただいた)娘を迎えにいったのが、3月に入ってのことだった。

それから・・・月日は緩やかにそして時には激しく流れていった。
「お父さんなんか大嫌い!」 娘に何度か言われたこともある。
「他の家では許されるのに何でウチはダメなの?」 そう言われたことも何度もある。
「父と母で決めたルールだから、従え!」 何度口にしたことだろう。
「男に頼ることなく生きていけるなりなさい。それが本当の女性。強い女性。それが君をさらに磨き上げる」
「男は顔じゃない。そしてお金だけじゃない。心の底から優しく守ってくれる男。それこそが本当の男。だから、見たくれなんか気にせず・・・優しい男を見つけなさい。そして人生を共に歩いていける男を・・・」
最近、私が娘に口酸っぱくなるほど言っている言葉。娘はそのたびに・・・
「はいはい・・・お父さんみたいに優しい男でしょ・・・でもどこにいるのかなぁ~」
「焦る事はないよ・・・・居たければずっとここにいればいい。父が守っていてやるから・・それに必ずどこかにいるよ。」
「それが・・・外人だったら?」
「そうねえ~日本語喋ってくれなきゃ・・嫌だな・・・父もう英語殆ど忘れたからね」
「そういうもの?」
「そう・・・・いいか・・・顔じゃないぞ・・男は・・・」
「はいはい。父みたいな男探してきます。」

夢だったのだろうか・・・・妻も娘もいない自宅。いつもより多目に薬を服用して睡眠を取ったのだ。
妻が作ってくれたごはんが食べたい。
娘や妻の口喧嘩さえ・・・懐かしい。
妻と娘は今ごろ・・最後のレッスンを終え・・・ほっとしてまだ寝ているのだろうか・・・・

とにかく・・・家族のありがたみをしみじみ思い知らされた・・・・一時の自由という名の不自由な生活もいよいよ終焉を迎えるのだろう。
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