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僕と“う”と“な”の物語 -第一章 第七話 ー   [僕と“う”と“な”の物語]

- モノと言われた子 2-

「主・・・・」

「なんだ?大人しく肉まんでも喰ってろっ!確か冷凍庫に残っているから・・・」

「もう・・夏なりよ!暑いなり・・・」

「じゃあ!毛皮脱げば良いだけだろうが…バリカンで刈ってやるか?」

「大きなお世話なりよ!体温はコントロールできるなり・・・」

「そいつは便利だな・・・今、忙しいんだ。」

ふと、僕が書類から目を上げると、そこには“う”だけではなく、二番目にやってきた。

“な”と新参者の“い”の三頭が僕の方に、匍匐前進?しながら、にじり寄ってきていた。

「もうちょっと・・・教えるなりよ!」

「何を?」(また・・メンドーになりそうな気が・・・)

僕は、身構える事にした。三頭が揃うと碌な事にはならない。まあ、たまに役に立つとすれば、

その辺に佇んでいる地縛霊の集合体は、僕の手には少々厄介なのだが、三頭はそれを

いとも簡単に遠ざけてくれる事もある。事もあるのだが、「可哀そうなりよ!」とか言って

連れてきてしまう事もある。まあ、お祓いをして、あの世に旅立ってもらう様に説得をする。

まあ、説得を聞こうが、聞くまいが僕はあずかり知らないけど、この世に未練があるのは、

浮遊霊の道を選択するのだろうし、成仏しても天国にいけるとは限らない。

まあ、僕の行先は地獄なのhいいとしても、この三頭がまた、僕に何かやらせ様とするのは、

明白な事だ。

「主・・・主の子供の頃をもっと知るなりよ!」

「メンドーだし・・・思い出したくもない!」

「仕方ないなりね・・・・」

「・・・・・」(な・・なんだ?)

「ちょっくら・・失礼するなりね!」

そう“う”が呟くと僕の頭によじ登り始めた。

「く・・くそ狐っ!何をする気だ?」

「頭の中を覗くだけなりよ・・・痛くないなり!」

「痛くないなら・・・って、冗談じゃない!覗かれて溜まるかっ!」

「主とは長い付き合いなりよ!奥さんより長いなり!」

「そ・・それがどうしたクソ狐っ!頭から降りろ・・バカっ!」

「バカ?馬鹿じゃないなりよ!少なくとも主よりは・・・・じゃあ!ちょっくら失礼するなり!」

「失礼するなっ!ばか!」

「いいからケチな事言うななりよ・・・・」

「や・・やめろ・・バカっ!」

「押さえるなりよ!いいなりか・・・」

“う”は残りの居候・・・2頭に命令した。何しろ“う”は長い付き合いだから、お姉さん?格で、

その他にも2頭も居るのだ。三匹・・いや、三頭も九尾の狐が揃うと、物騒というより、

我が家は増々“物の怪の棲家”になっている。

そういえば、昔からそうだった。僕は普通ではなかったらしい。

らしいと言うのは、僕は見えて当たり前、聞こえて当たり前に思っているのだ。

こんな話を世間では、“頭のおかしい奴”と片づけてしまうらしい。大体、科学で証明されなければ、

その存在すら無視をするのが、ヒトと言う生き物らしい。僕に言わせれば科学で証明されるのは、

この世の中に存在する極々僅かなことで、大体0.0001%くらいしか解明されていないと

僕は思っている。

あれは、確か小学校2~3年生の頃だった。初めて“日記帳”なるモノを買ってもらった。

その日記帳は“星日記”と呼ばれるモノで、その当時僕の母親だったヒトが、買って寄越した。

その記念すべき第一日目の日記に僕が記したのは、“ニワトリが先か?卵が先か?これは

なぞだ!”と書いた。

僕は、ただ、疑問に思ったことを書いただけだったのだが、それがトンデモナイ騒動に発展し、

“二度と日記なんざ書かない!”と心に決めた。

何しろ、その文章が原因で酔っ払って帰ってきた。その当時の父親というヒトと母親というヒトは、

夫婦喧嘩を始めたのだ。

僕にしてはどっちでもいいことだったのだが、理科の授業で先生に習ったことを疑問に思い、

書いておいただけだったのだから、こんなちっぽけなことさえ科学は証明されていなかったのか、

それとも僕の“両親”と言い放っていたヒトたちは、理解すらできなかったにちがいない。

「こ・・こらっ!や・・やめろ!」

突然、僕の頭の中を古い映画の如く、僕の子供時代の映像が映りはじめた。

「主は・・・踊りを習っていたなりか?」

「わ・・悪いか!俺が好きで始めたんじゃない!強制されたんだ・・・・」

「そうなりか?へえ~言葉は便利なりね!」

日本舞踊を僕は強制的に習わされていた。何しろ、育ての母親という人が、日本舞踊の

お師匠さんと呼ばれる人で、僕はそのヒトから習ったのでなく、ソノヒトのお師匠さんに

強制的に習わされていたのだ。だから、育ての母親とは、日本舞踊の世界では、姉弟弟子に

なる。まあ、そのお稽古は半端なものではなかった。何しろ、お稽古に行くときは、着物を

無理やり着せられ、電車に乗ってゆかねばならなかった。それが精神的苦痛でもあったし、

お稽古の前には、着物を着換えねばならない。特に、発表会が近づけば近づくほど、僕は

憂鬱を通り越して、線路に身を投げ出したくなるほどだった。

お稽古では、教えられたとおりに踊れないと、まずはお師匠さんから扇子で散々ひっぱたかれ、

自宅に戻ったら戻ったで、さらに自宅にあった舞台で散々練習させられ、ついでに扇子なんぞ

ではなく、殴られたり、蹴られたりもしたことがある。

まあ、育ての母親に恥をかかせたというのが、主な理由だったのだろうが、気に食わなければ

僕は人間なく、ロボットいや・・モノ・・いや、モノですらなく、ただのゴミみたいな存在だったのだろう。

だけど、今考えると悪いことばかりではなかった。

子供だったおかげ?もあるだろう。余り、威張って言えることではないのだけど、時間帯によっては、

綺麗なお姉さんたちと、遭遇して、同じ部屋で着換えることになるわけで、生着がえをほぼ毎日の

様に眺めることになる。これは、育ての父親を始め、その父というヒトが経営する会社で働いている

職人さんたちからは、羨ましがられた。

また、上手く踊れれば、育ての母親というヒトの機嫌がよく、おもちゃを買ってもらったり、

お弟子さんのお姉さんたちも一緒にサウナに出没することになる。

サウナに出没しても、僕は男だから男湯ではなく、お子様の一人入浴は危険とのことで、

女湯に入る羽目?いや、今思えば、たいそうなご褒美だったのかもしれないが、僕にとっては、

その当時はどうでもいいことだった。何故なら、花嫁修業という名のもと、住み込みで働いている

お手伝いのお姉さんと毎日。いや、ほぼ毎日だ。運よく?いや、素直に書けば、運悪く育ての父親

が、自宅に居る場合は、一緒に入っていたので、それでも、年間350日以上は、一緒に入浴をして、

身体中を洗ってもらっていたのだから、その一緒に入る若いお姉さんが増えただけだ。

まあ、おかげ?で、僕はその成長過程において、大事な時期にトンデモナイ光景を毎日眺めていたし、

身体を洗ってもらうクセは、大人になってもしばらく抜けてくれず?困ったわけだ。

「あんまり悪い子供時代じゃなかったなりよ・・・・」

「そうかぁ~この他にも大変だったんだぞ!」

「何がなり?」

「ええとぉ~習い事だけで言えば、習字だろ・・・・」

「字は汚いなりが・・・」

「ほっとけ!」

「あとは何を習っていたなり?」

「あとは・・ピアノに柔道に剣道。それからええとぉ~」

「お坊ちゃんなりね・・・役立ったのはピアノだけなりか・・・・」

「悪かったな!どうせダンスは出来ないし・・まあ、やりたくないのもあるけど・・・」

「柔道と剣道は役立ったなりか?その割には、礼儀は重んじないなりが・・・」

「ほっとけ!柔道は喧嘩の時に相手を投げ飛ばすことぐらいだし・・・」

「剣道は鉄パイプを振るうときに役に立っているなりよ!」

「人聞きの悪いことを言うんじゃない!正当防衛だろ?」

「あれは・・・過剰正当防衛・・・いや、わざとなり!」

「解ったのか?」

「何年付き合っていると思うなりよ!それより・・・ピアノは役だったなりね!」

「まあ・・・あの・・・時はな・・・」

そう、確かに一時。僕の人生で言えば、ほんのひととき。それでも、それなりに稼げた。

鉄パイプの一件は、僕がもう生きているのが少々メンドーになったので、盛り場で

チンピラを相手に大立ち回りをした時か、高校生の時に巻き込まれたフリをして、

仲間をやられた仕返しに、暴走族を相手にした時のことを言っているのだろう。

まあ、いずれかであるが、いずれにしろ立派な正当防衛だと思っていたが、チンピラ相手の

時は、正当防衛だったけど、もう一つの方はやり過ぎで、過剰正当防衛とされ、僕と仲間たちは

児童相談所ではなく、家庭裁判所まで送られた。

まあ、それなりの人数の大事な部分をそれなりの方法で、ぶっ潰した事も事実な訳だから、

僕たちは“鑑別所”は仕方ないと思っていたのだが、保護観察処分を受けたのも否定はしない。

一部の仲間は、鑑別所に送られたので、僕たちは、毎月1回出頭しなければいけない保護司を

完全に無視して、最初と最後だけ行った。

まあ、これは僕たちが出来る。大人達への抗議でもあった。

何しろ、片親、それも母子家庭の仲間だけが、鑑別所に送られたわけだから、納得がいかなかった。

「ピアノっ?」

「そうなりよ!主はピアノが弾けたなり」

「昔の話だ。そんなもん・・・・」

「そういえば・・・主?」

「何だ?」(また・・・悪い予感というより、記憶の封印を剥がされそうな気がする・・・・)

「前の話は何故続きを書かないなりか・・・」

「前の?」

「主が神主だったころの・・・」

「ああ・・・・あれ。書きたくないから・・・」

「何故なり?」

「お笑いだったはずなんだけどな・・・ちょっと・・・」

「ああ!アレなりね。」

「ったく・・・・そうだよ!お笑いがお涙頂戴になっちまうか、大笑いされるわ。」

「それだけなりか?」

「いや・・な・・・まあ・・色々あるわけだ。色々・・・・」

「いろいろってなんなり?」

「あのな!エロ坊主覚えてんだろ?あいつとか・・」

「とか・・・なりか?」

「そう!ついでに言わせてもらえば、変態小児科とか趣味で産婦人科医やっている・・・」

「ああ!あの・・・よく医者になれたなりね。」

「人生は解らないことだらけだ。まあ、あいつらもバレそうなんで・・・」

「友達思いなりね。」

「違う。まあ・・・あいつらの奥方からもあまり暴露するなとか・・・」

「お願いなりか?」

「そんなもんだ・・・お願いって態度じゃねえけどな・・・今、忙しいんだから・・・」

「暇そうに見えるなりが・・・・」

「はあ?一応・・・社長業だぞ?これでも忙しいの!」

「脱税なりね。」

「そうじゃなくて節税。それに今度物件買うんだよ」

「へっ?どこにお金あるなりか・・・」

「お前等がどこからか持ってきてくれればありがたいけど・・借りるの!」

「誰からなり?青○とか白○とか・・・脅したなりか?」

「じゃなくて、銀行から融資を受けるの!それに・・・」

「なんなり?」

「お前等がドテ~ンと座っているそこは、来客用ソファーなんだから・・・」

「気にするなり!」

「客が来たら大人しくしてろよ!この前みたいに・・・」

「この前・・・なりか?」

「そう!この前みたいに来客中に悪さをするな!いいな!」

三匹・・・いや・・三頭はコクンと頷いた。

「それで何が知りたいんだ?教えてやるよ!この際だからな・・・・」

僕は覚悟を決めた。まあ、モノ扱いは当たり前で、アレ!ソレ!コレ!と呼び名は変われど、

モノ扱いで育ったのだ。この際、脳みそ野中を覗かれ、引っ掻き回されるくらいなら、

教えてやって、大人しくさせておいたほうが利口かも知れない。

何しろ、追い払っても無駄な気がする。

まあ、“う”に関して言えば、帰る場所がないと言っていたので、仕方がなく引き取ったのも

遠い昔の自分であるわけだし、残りの“な”と新参者の“い”もどうやら帰る気はないらしい。

「まあ、枯れ木の山も賑わいというからな!まあ、招き猫くらいの効果はあるかもな・・・」

僕はぽつんと呟くと、不動産業者から送られてくる資料を投げ出した。

僕と“う”と“な”の物語 -第一章 第八話 ー へいずれ続く・・・・多分。



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