「やられたら・・・・やり返す。」(父の死 第1章) [血みどろ?の争い]
―第一章 親不孝者 1―
父が亡くなってもう10日以上となろうととしている。
台風26号の影響で、交通機関は止まり、私(オストド)は、社員(と言っても1名しかいない)に
「台風が過ぎて安全が確保されるまで、自宅にいなさい。」と社長命令を伝え、
メストド1号とテレビで、台風に関する情報を集めていた。
その時、父は苦しんでいたのだろう。でも、そんな事でさえ、まだ、私には連絡すらなかった。
最後に父に会ったのは、亡くなる数日前だった。
「見舞いに来てやって!」
「どこ?家それとも・・・・また、施設に入っているわけ?」
「いつものとこ・・・・〇階じゃなくて〇+1階」
「B病院(都立病院)?」
「そうじゃなくて・・・施設・・・」
「ああ!今忙しいからねえ~時間が取れたら行くよ!」
「できる限り早く来てやって!」
「判った。でも、スケジュールをやりくりするから、木曜か金曜じゃないと無理かなぁ~」
まだ、私は“来るべき時”がそこまで来ていることを知らなかった。
いや、薄々は感じていたかもしれないのだが、気づかなかったフリをしたかったのかもしれない。
「早く!ね!そうだ・・ついでに・・・兄さんを乗っけてきて!」
「多分・・乗らないんじゃない?俺の車!嫌われているしさ・・・・」
ここで言う“兄さん”とは、父の兄であり、“深い罠”に嵌められている私は、
元の関係に戻ることは不可能だと知っていたのだ。
「私が電話しておくから・・・」
「別の日でもいいんじゃない?」
冗談ではないと思ったのは、紛れもない事実であり、私は事の重大性を感じ始めていた。
結局、叔父である兄さんは、病院通院日で一緒に行くことはなかった。
私は情報を得るべく、父が築き上げた会社。つまり、数年前まで私が一応居たその職場に
電話を掛けた。もちろん電話の相手は、”情報屋”である。
その”情報屋”によれば、施設で肺炎になり、併設病院で治療を受け、また施設に戻った。
ただ、それだけだったのだが、見舞いに行く前日には、また、併設された病院へ移されていた。
父は狭い個室(それでも、1日1万円とは驚きの差額ベッド代だが・・・)に押し込まれ、
訪れた私を大きな目を見開いて、一瞬だけ見て、そして、涙を一粒こぼした。
第一章 2に続く
父が亡くなってもう10日以上となろうととしている。
台風26号の影響で、交通機関は止まり、私(オストド)は、社員(と言っても1名しかいない)に
「台風が過ぎて安全が確保されるまで、自宅にいなさい。」と社長命令を伝え、
メストド1号とテレビで、台風に関する情報を集めていた。
その時、父は苦しんでいたのだろう。でも、そんな事でさえ、まだ、私には連絡すらなかった。
最後に父に会ったのは、亡くなる数日前だった。
「見舞いに来てやって!」
「どこ?家それとも・・・・また、施設に入っているわけ?」
「いつものとこ・・・・〇階じゃなくて〇+1階」
「B病院(都立病院)?」
「そうじゃなくて・・・施設・・・」
「ああ!今忙しいからねえ~時間が取れたら行くよ!」
「できる限り早く来てやって!」
「判った。でも、スケジュールをやりくりするから、木曜か金曜じゃないと無理かなぁ~」
まだ、私は“来るべき時”がそこまで来ていることを知らなかった。
いや、薄々は感じていたかもしれないのだが、気づかなかったフリをしたかったのかもしれない。
「早く!ね!そうだ・・ついでに・・・兄さんを乗っけてきて!」
「多分・・乗らないんじゃない?俺の車!嫌われているしさ・・・・」
ここで言う“兄さん”とは、父の兄であり、“深い罠”に嵌められている私は、
元の関係に戻ることは不可能だと知っていたのだ。
「私が電話しておくから・・・」
「別の日でもいいんじゃない?」
冗談ではないと思ったのは、紛れもない事実であり、私は事の重大性を感じ始めていた。
結局、叔父である兄さんは、病院通院日で一緒に行くことはなかった。
私は情報を得るべく、父が築き上げた会社。つまり、数年前まで私が一応居たその職場に
電話を掛けた。もちろん電話の相手は、”情報屋”である。
その”情報屋”によれば、施設で肺炎になり、併設病院で治療を受け、また施設に戻った。
ただ、それだけだったのだが、見舞いに行く前日には、また、併設された病院へ移されていた。
父は狭い個室(それでも、1日1万円とは驚きの差額ベッド代だが・・・)に押し込まれ、
訪れた私を大きな目を見開いて、一瞬だけ見て、そして、涙を一粒こぼした。
第一章 2に続く
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