「やられたら・・・やり返す」第3章― 誓い ―その3 [血みどろ?の争い]
― 温かみ・・・ ―
親父が亡くなって数日経過したときだっただろうか?
オストドが幹事をしていて、今では幽霊会員になっているもみじ会のM氏から電話があった。
もみじ会とは、ご存じの方もいるだろうけど、もう一度説明しておくと、
「花も咲かなきゃ、実も付けない。付くのは“色気(色づくから来ているらしい)ばかりだな!」
こうして、“若手研鑽なんちゃら会”(入会時45歳未満であればよい)は、別名を“もみじ会”と
言われ、自分たちも変に?納得してそう名乗っていた。
つまり、「遊ぼうよ!会」みたいなもので、そこに年齢の垣根などなく、M氏は、僕を“Fちゃん!”
M氏を呼ぶときは、姓を省略して4文字ではなく、頭2文字で呼ぶ。
一番の年長者(僕より18歳も上)の人でさえ、僕を呼ぶときは、“Fちゃん!”だし、僕は僕で
親しみを込めて、“とっちゃん!”と呼ぶ。
そのM氏からの電話で、僕はひとつ教えてもらった。
それは、M氏のやはりお父上が亡くなった時に、町内会の世話役から言われた言葉らしい。
「いいかい!骨壺は、Fちゃんが抱いて帰るんだけど・・・・」
「そうなるのかな?」
「そうなるさ!だって熱いし、重い!長男なんだし・・そうなる!」
「へえ~まあ、そのくらいはやるけどね。」
「いいかい!Fちゃん!」
M氏にしては、珍しいほど神妙な口ぶりだった。
「多分!ハイヤーか何かだろうけど・・・」
「ハイヤー頼んであるよ!」
「Fちゃんは、そこに親父さんの骨壺を抱いて乗ることになる。」
「だろうね・・・」
「その時の温かみを忘れちゃいけないよ!それが、親が最後に子供にしてやれる温かみ・・・」
「そうなんだ・・・」
そんなやり取りを思い出していると、放送で呼び出しを受ける。
簡単に言えば、“こんがり焼きあがったので取りに来い!”と、現実に引き戻される。
導師様・葬儀委員長・位牌を持つ後妻に続き、僕は遺影を胸に続く。
親族や列席者を代表して、焼きあがった窯の前に行かねばならない。
「ご確認ください!間違いありませんね?」
それは、父の俗名が書かれた白いプラスチックの板だった。
つまり、窯の中で焼きあがった骨は誰のものかわからないので、焼きあがるまで、窯の前に
差し込まれていたもの。
「はい・・・」と答えると、係員がボタンを押し、暖かいいや熱風の空気があたりを包む。
導師の読経と鐘の音が続く中、合掌して見守ると、父はすでに小さな骨が砕け散り、
載せられていた台では、まだ骨が赤みを帯び燃えている様だった。
その後、親族や列席者が集う収骨室に向かう列で、係員を除けば僕は一番近くに父を感じた。
何しろ、まだ熱を帯びているので、暖かい空気が僕の背中めがけてやってくるのだ。
「親父・・・熱かっただろう!ごめんな!」声にならない声でそうつぶやく。
また、一体全体どうしたんだろうというくらいに、涙腺のダムが壊れたのか?
そう思うくらいに涙が溢れ、僕は前後を挟まれ、父の遺影を持つ手は震え続けた。
収骨室での騒動は覚えていない。本来ならば、喪主・遺族・親族、列席いただいた参列者へと
順番に進んでいくのだが、僕は名ばかりの喪主の後妻と共に、渡された菜箸で、見るも無残に
なった親父の骨を一番最初に拾い、骨壺に最初に収めると、車いすで参列している叔父や叔母
中でも、僕は一生頭が上がらない叔母を手助けし、収骨させねばならなかったからだ。
磁石の様なもので、棺に使われていた金具や釘と共に金属類は、係員によって“処理”され、
一巡するとまるで時間に追われている様に係員が残っている骨を菜箸でできるだけ拾い集め、
ちり取りのような金属製のモノに無造作に集め、親父の骨壺に流し終えると、最後にのど仏を
一通り見せ終えると、静かに骨壺に収められた“父の骨”の上に載せた。
「これが埋葬許可書ですから・・・無くすといけませんので、一緒に収めておきますね!」
あくまでも事務的にベルトコンベアー式に“火葬の偽”は終わった。
メストド1号は、「私・・・ここは絶対に嫌っ!」とそうオストドつまり僕に告げると、泣き出した。
確かにそういわれればそうだ。でも、遺族の感情等を考慮したら、火葬場は予定をこなす事も
出来ないからだ。
そういうオストドは今まで死んだら“ヒト扱いではなくモノ扱い”になる光景を幾く場面も見てきた。
添乗員時代にツアー客を連れ、とある山に、久々に登ったときに、ある救助隊員でもあり、
山岳ガイドからこう教えられたことがある。
「山で死んだらさぁ~ヒトから、モノになっちゃうからね!」
「えっ?」
「アレを見てごらん!」
指指されたところを見ると、物資を山小屋に運んでくるヘリコプターだった。
ヘリコプタには、物資が網の中に収められ、それを吊り下げているのだ。
「ヘリが付けれればいいさ・・・遺体はクルマれて包まれ、網の中に収められて・・・・」
「・・・・・・」
「でもね。ヘリが近づけない場所だったら・・・」
「どうなるんです?」
「そうさなあ~崖だったら・・幾重にも包んで、ザイルで降ろすか、最悪・・・・」
「最悪?」
「うん。二次災害の危険もあるからね。生きている人間はヒトだけど・・・死んだらモノだから・・・」
「はい?」
「最悪・・・誰も見てなきゃ!落とすんだよ!手で投げれなければ、蹴り落とすのさ・・・」
「でも・・・」
「うん!第三者には見られてない場合だけどね・・・仕方がないんだ!」
「仕方がない?」
「そう!生きているか!死んでいるか?だからね・・・」
「そういうものなんですかね?」
彼の講釈は延々と続き、その間にも鎖場をすり抜け、山小屋に着いたときには、
下界では考えられない値段のビールで乾杯をしたのだ。
阪神大震災の際もそうだった。
伊丹空港に飛来したヘリコプターには、いくつも積み上げられた棺桶が、彼の言う通りに、
網の中で重なり、“空輸”されてきた光景も見ていた。
「仕方がないじゃん・・・人口に対する火葬場の数は足りないし・・・・」
そう言いながらも、オストドも違和感は拭えなかったのだが、僕ことオストドには、
来るべきと時が来たのだった。
「ご長男様!骨壺をお持ちください。遺影はどなたか・・・・」
ここでオストドは苦汁の選択を迫られた。
つまり、今まで抱えていた父の遺影を他者に持たせなければならない。
葬儀委員長には持たせたくなかったし、妻であるメストド1号でもいけない。
何故なら、これは“家族”が執り行っている葬儀ではない。あくまでも、社葬なのだ。
「Tっ!」
僕の口から自然にこぼれたのがこの言葉だった。
親族からしてみれば、本家筋の人間であり、父の会社をゆくゆくは、葬儀委員長に変わり、
引き継いでいく人間なのだ。
「悪いけど・・頼めるかい!」
僕は白木の箱に見たくれだけの布袋を被せられた亡き父の遺骨が収められた。
小さいながら重くそして熱い“箱”を受け取ると、胸にしっかりと抱きかかえ、
参列者に一礼をし、殴りつける雨の中横付けされたハイヤーへ向かう。
ハイヤーの運転手が小さな座布団で、父の遺骨が入った箱を受け取ると、僕は指示通り
後部座席の真ん中に座り、その膝の上に父の遺骨が載せられた。
「暖かいよ!親父っ!これが・・・最後の愛情なんだね!」
そう呟くとしっかりと抱きかかえ、僕の右横には遺影を持ったTが乗り、僕の左横には、
位牌を持った後妻が乗り込み、助手席にお導師様が乗り込むと、また葬祭会場へ向け、
静かに車は走りだした。
「暖かいよ・・・」
僕は何度もそういいながら流れゆく景色をみていたのだった。
第3章― 誓い ―その4へ続く
親父が亡くなって数日経過したときだっただろうか?
オストドが幹事をしていて、今では幽霊会員になっているもみじ会のM氏から電話があった。
もみじ会とは、ご存じの方もいるだろうけど、もう一度説明しておくと、
「花も咲かなきゃ、実も付けない。付くのは“色気(色づくから来ているらしい)ばかりだな!」
こうして、“若手研鑽なんちゃら会”(入会時45歳未満であればよい)は、別名を“もみじ会”と
言われ、自分たちも変に?納得してそう名乗っていた。
つまり、「遊ぼうよ!会」みたいなもので、そこに年齢の垣根などなく、M氏は、僕を“Fちゃん!”
M氏を呼ぶときは、姓を省略して4文字ではなく、頭2文字で呼ぶ。
一番の年長者(僕より18歳も上)の人でさえ、僕を呼ぶときは、“Fちゃん!”だし、僕は僕で
親しみを込めて、“とっちゃん!”と呼ぶ。
そのM氏からの電話で、僕はひとつ教えてもらった。
それは、M氏のやはりお父上が亡くなった時に、町内会の世話役から言われた言葉らしい。
「いいかい!骨壺は、Fちゃんが抱いて帰るんだけど・・・・」
「そうなるのかな?」
「そうなるさ!だって熱いし、重い!長男なんだし・・そうなる!」
「へえ~まあ、そのくらいはやるけどね。」
「いいかい!Fちゃん!」
M氏にしては、珍しいほど神妙な口ぶりだった。
「多分!ハイヤーか何かだろうけど・・・」
「ハイヤー頼んであるよ!」
「Fちゃんは、そこに親父さんの骨壺を抱いて乗ることになる。」
「だろうね・・・」
「その時の温かみを忘れちゃいけないよ!それが、親が最後に子供にしてやれる温かみ・・・」
「そうなんだ・・・」
そんなやり取りを思い出していると、放送で呼び出しを受ける。
簡単に言えば、“こんがり焼きあがったので取りに来い!”と、現実に引き戻される。
導師様・葬儀委員長・位牌を持つ後妻に続き、僕は遺影を胸に続く。
親族や列席者を代表して、焼きあがった窯の前に行かねばならない。
「ご確認ください!間違いありませんね?」
それは、父の俗名が書かれた白いプラスチックの板だった。
つまり、窯の中で焼きあがった骨は誰のものかわからないので、焼きあがるまで、窯の前に
差し込まれていたもの。
「はい・・・」と答えると、係員がボタンを押し、暖かいいや熱風の空気があたりを包む。
導師の読経と鐘の音が続く中、合掌して見守ると、父はすでに小さな骨が砕け散り、
載せられていた台では、まだ骨が赤みを帯び燃えている様だった。
その後、親族や列席者が集う収骨室に向かう列で、係員を除けば僕は一番近くに父を感じた。
何しろ、まだ熱を帯びているので、暖かい空気が僕の背中めがけてやってくるのだ。
「親父・・・熱かっただろう!ごめんな!」声にならない声でそうつぶやく。
また、一体全体どうしたんだろうというくらいに、涙腺のダムが壊れたのか?
そう思うくらいに涙が溢れ、僕は前後を挟まれ、父の遺影を持つ手は震え続けた。
収骨室での騒動は覚えていない。本来ならば、喪主・遺族・親族、列席いただいた参列者へと
順番に進んでいくのだが、僕は名ばかりの喪主の後妻と共に、渡された菜箸で、見るも無残に
なった親父の骨を一番最初に拾い、骨壺に最初に収めると、車いすで参列している叔父や叔母
中でも、僕は一生頭が上がらない叔母を手助けし、収骨させねばならなかったからだ。
磁石の様なもので、棺に使われていた金具や釘と共に金属類は、係員によって“処理”され、
一巡するとまるで時間に追われている様に係員が残っている骨を菜箸でできるだけ拾い集め、
ちり取りのような金属製のモノに無造作に集め、親父の骨壺に流し終えると、最後にのど仏を
一通り見せ終えると、静かに骨壺に収められた“父の骨”の上に載せた。
「これが埋葬許可書ですから・・・無くすといけませんので、一緒に収めておきますね!」
あくまでも事務的にベルトコンベアー式に“火葬の偽”は終わった。
メストド1号は、「私・・・ここは絶対に嫌っ!」とそうオストドつまり僕に告げると、泣き出した。
確かにそういわれればそうだ。でも、遺族の感情等を考慮したら、火葬場は予定をこなす事も
出来ないからだ。
そういうオストドは今まで死んだら“ヒト扱いではなくモノ扱い”になる光景を幾く場面も見てきた。
添乗員時代にツアー客を連れ、とある山に、久々に登ったときに、ある救助隊員でもあり、
山岳ガイドからこう教えられたことがある。
「山で死んだらさぁ~ヒトから、モノになっちゃうからね!」
「えっ?」
「アレを見てごらん!」
指指されたところを見ると、物資を山小屋に運んでくるヘリコプターだった。
ヘリコプタには、物資が網の中に収められ、それを吊り下げているのだ。
「ヘリが付けれればいいさ・・・遺体はクルマれて包まれ、網の中に収められて・・・・」
「・・・・・・」
「でもね。ヘリが近づけない場所だったら・・・」
「どうなるんです?」
「そうさなあ~崖だったら・・幾重にも包んで、ザイルで降ろすか、最悪・・・・」
「最悪?」
「うん。二次災害の危険もあるからね。生きている人間はヒトだけど・・・死んだらモノだから・・・」
「はい?」
「最悪・・・誰も見てなきゃ!落とすんだよ!手で投げれなければ、蹴り落とすのさ・・・」
「でも・・・」
「うん!第三者には見られてない場合だけどね・・・仕方がないんだ!」
「仕方がない?」
「そう!生きているか!死んでいるか?だからね・・・」
「そういうものなんですかね?」
彼の講釈は延々と続き、その間にも鎖場をすり抜け、山小屋に着いたときには、
下界では考えられない値段のビールで乾杯をしたのだ。
阪神大震災の際もそうだった。
伊丹空港に飛来したヘリコプターには、いくつも積み上げられた棺桶が、彼の言う通りに、
網の中で重なり、“空輸”されてきた光景も見ていた。
「仕方がないじゃん・・・人口に対する火葬場の数は足りないし・・・・」
そう言いながらも、オストドも違和感は拭えなかったのだが、僕ことオストドには、
来るべきと時が来たのだった。
「ご長男様!骨壺をお持ちください。遺影はどなたか・・・・」
ここでオストドは苦汁の選択を迫られた。
つまり、今まで抱えていた父の遺影を他者に持たせなければならない。
葬儀委員長には持たせたくなかったし、妻であるメストド1号でもいけない。
何故なら、これは“家族”が執り行っている葬儀ではない。あくまでも、社葬なのだ。
「Tっ!」
僕の口から自然にこぼれたのがこの言葉だった。
親族からしてみれば、本家筋の人間であり、父の会社をゆくゆくは、葬儀委員長に変わり、
引き継いでいく人間なのだ。
「悪いけど・・頼めるかい!」
僕は白木の箱に見たくれだけの布袋を被せられた亡き父の遺骨が収められた。
小さいながら重くそして熱い“箱”を受け取ると、胸にしっかりと抱きかかえ、
参列者に一礼をし、殴りつける雨の中横付けされたハイヤーへ向かう。
ハイヤーの運転手が小さな座布団で、父の遺骨が入った箱を受け取ると、僕は指示通り
後部座席の真ん中に座り、その膝の上に父の遺骨が載せられた。
「暖かいよ!親父っ!これが・・・最後の愛情なんだね!」
そう呟くとしっかりと抱きかかえ、僕の右横には遺影を持ったTが乗り、僕の左横には、
位牌を持った後妻が乗り込み、助手席にお導師様が乗り込むと、また葬祭会場へ向け、
静かに車は走りだした。
「暖かいよ・・・」
僕は何度もそういいながら流れゆく景色をみていたのだった。
第3章― 誓い ―その4へ続く
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