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オストドのため息。「パキスタンは懐かしいところ・・」 [ひとりごと]



オストドでございます。

「ねえ~オストドクン。パキスタン行かない。パキスタン・・・・」

昔、フリーのツアコン(俗に言う・・・プロ)になりたての頃、某日本の三大新聞社のM社系列の旅行社の

F氏からの電話が鳴り響いたのは・・・オストドが惰眠をむさぼっていたある日のことだった。

「はぁ・・・パキスタンですか?いいですよ!・・行けと言われれば・・・宇宙だって・・・・」

「じゃあさぁ~パスポートは持っているよね・・・有効期限は?」

「大丈夫だと思いますよ・・・1年以上残っているから・・・」

「じゃあ~パスポート持ってすぐ来てくれないかな?ビザの手続きがあるしねえ~」

折角・・・家族サービスのために休暇を取っていたのだが、フリーの辛いところは・・オーダーを断るな!だ。

日曜日出発の日曜日帰り・・つまり8日間の行程。ひたすら・・遺跡とか美術館・博物館を訪ね歩く旅。

ハンニバル峠へ行くときは、クソ暑い仲上着を着用していたっけ・・・

途中で、警察署に寄って署長に“レンタル料”を払い、確か・・・700円くらい。

ライフルにたすき掛けに銃弾(実弾)を二重に装備した警察官を1名。現地ガイド2名も銃を装備していて・・

ついでに・・ドライバーさんは、元陸軍曹長で銃を持っていた。

もちろん・・オストドも・・・「撃ちあいになったら・・迷わず撃て!」と銃と実弾を持たされたっけ・・・

そんな“装備”も無駄に終わったけど・・・(撃つどころか・・密輸商人からご招待された)

ラワルピンディー・ペシャワール・カラチ・・・その中でもスワートに2泊したときは、

まるで・・別天地のように快適に過ごせた。

オストドに絨毯をくれた絨毯屋さん。パッチモンと本物の宝石を混在して売っていて、

「ワイフじゃなくて・・彼女にやれ!」と本物のダイヤをくれた宝石屋さん。

そして・・・市場の生ジューススタンドのおじちゃんや捻挫したオストドに薬を塗ってくれたおっちゃん。

それから・・・6日間一緒に同行して、そのうち一泊一緒の部屋に寝たガイドのアズマット君。

あのとき・・・確か「政府の日本語検定試験で優秀な成績を収めたから日本へ行けるんです。」

彼に日本へ来たら色々案内するよ・・・約束していたんですけど・・・まだ果たせてません。

異国の地に住む彼らの明日がありますように・・・心から願わざるを得ません。


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