オストドのため息。「心が痛む事です・・・」 [ひとりごと]
http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=mai&aid=20090818-570-OYT1T00435
オストドも“被災”経験者です。阪神大震災の時・・神戸の震度7の激震地にいました。
娘は当時・・小学生でした。家財道具は全てと言っていいほど・・メチャクチャに壊れたり、落下したり・・・
幸い、地盤のいい(裏手に神社があります。昔からある神社)所で、マンションのオーナーが、
“こだわり”のある方でしたので、建物は半壊以下(受水槽とガス管がやられたくらい)でした。
次々と“死体”の掘り起こし等をしていましたが、先日まで娘と一緒に学校へ行き、そして遊んだ
お友達が亡くなっていました。次々と入ってくる“訃報”。オストドは決心しました。
「このままじゃ・・娘の耳にいずれ入ってしまう。その前に・・・・」
片道十数キロ歩けばそこまで電車は来ている。
幸い、オストドにはあるコネクションがあります。西宮北口から電車に乗り、伊丹へ行けば・・・
娘ひとりくらいの座席は確保出来る。空港に着いた時、やはり・・満席。
オストド・・・“貸し”のあるさる航空会社のお偉いさんに電話をして、何とか娘の座席を確保しました。
がれきの山を乗り越え、崩れ去った街並みを歩かせ、それでも・・小学生だった娘は歯をくいしばって
がんばって歩いたんです。幸い、妻の両親が空港へ迎えに来てくださるとのことで、温かい食事
それも・・何でも選び放題の食事を、親子三人でとり、その航空会社さんの計らいでゲートまで見送り、
必要な物資を手当たり次第調達して・・西宮北口まで戻り、両手には大きな荷物。背中には大きな
リュックに買えるだけ・・・持てるだけの荷物を背負い、妻と二人瓦礫の山を越え、家に向かって歩いて
居た時のこと・・・多分・・・救援物資を届けに来た若者たちでしょうが、笑いながら歩いていたのです。
「ひでぇ~有様だったよな・・・」「ああ・・俺たち自慢出来るぜ・・・」
彼らにとって・・何気ない一言だったのかもしれません。
でも・・・その何気ない一言。それが“被災した者”がどれだけ傷つくか?考えていたのでしょうか?
こんな人々に被災地には来てもらいたくありません。
「お前らぁ~それでも人間か?二度と来るな!」 オストドの叫びが響き渡りました。
確かに・・彼らだって往復数十キロ歩いて運んでくれた物資。それは確かに被災者の役には立ちます。
でも・・・こんな“物見遊山”の気持ちで被災地には、来てもらいたくありません。
被災者が必要としているもの・・・それは“物資”だけでなく、心のケアです。
娘の小さな心には、大きな後遺症が残りました。それは・・幼児返りとなって現れたそうです。
私は、幸い“仕事”に逃げることが出来ましたが、妻の心にも傷が残ったことは確かです。
きっと・・この方も同じ様な“心の痛み”を感じられてのはず・・・
ご高齢故に・・・その心の傷は深かったのでしょう。
行政や政治家の方々そして・・・ボランティアをされていらっしゃる
ご冥福を心よりお祈り申し上げると共に、この災害で亡くなられた方々全ての御霊が、安らかでありますように
お祈り申し上げます。
そんなことがあったんですね。。。
その若者達がなんで怒られたのか
今は反省してくれてると信じたいです
by yunmo (2009-08-19 00:31)
yunmo様
いつもご訪問そしてNiceまでいただき・・ありがとうございます。
“震度7”の恐怖ってすごいです。大人が二人乗ったダブルベットは、まるで“スペースマウンテン”の様でしたし、洗濯機とその上部に取り付けてあった乾燥機は、5メートルも“自力”で動いて見事にひっくり返っていました。
あの当時の若者たちも、今では多分“人の親”になっているはずです。
少しでも・・いいから、人の心の傷に気遣えるようになっていると、私も信じたいのですが・・・
by 空飛ぶ食欲魔人 (2009-08-19 08:02)