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「空に憧れて・・・・・」 第1話 少年の夢 [エッセイ]

少年の夢
「子供は地上に舞い降りた天使である。」と誰かが言っていた。
また、「人は何かを探す為に旅に出る」とも誰かが言っていた。
多分、「地上に舞い降りた天使」は、母親の胎内に「置き忘れた翼」を求め、旅に出るのだろう。
「巣立ち」の時期を迎え、人々はそれぞれの「翼」を追い求め、温かい父母の元をはなれ、飛び立ってゆく。
私もその一員であったに違いない。
「失った翼」を求め、時の流れに流され、時には立ち向かい「その瞬間」を微力ながら生きていたのだろう。
「私」は子供の頃から変な少年だったに違いない。無理もない話しなのだが、「本当の両親の愛」を知らず、ただ「不憫に思った」養父母の「愛」を時には、重く感じ、時には逆らい、時には逃げようともがき続けていたのである。
子供の頃は友達と遊ぶことが苦手だったので、土手の斜面に腰掛けては「川面を渡る風」を肌に感じ、
空を流れる雲をただひたすら見続けているのが好きだった。
「いつかあの空を自由に飛べたらいいなぁ~」これが少年だった私の夢だったのである。
「ひこうきのうんてんしゅになりたい」小学校に上がるかどうかぐらいの頃だったろうか?
「ばかだなぁ~。うんてんしゅじゃなくて、パイロットって言うんだぜ!」と親戚のお兄ちゃんに笑われたこともある。
「ぱいろっと・・ってなあに?」
「そうだな・・・・うんてんしゅじゃカッコわるいからかな?」
「ふ~んそうなんだ。」
「おまえ、どこのひこうきがすきなんだ?」
「あのね。つるのとこ。」
「ああ、つる・・・か」
「うん。だってかっこいいもんね。」
月日の流れは恐ろしいものである。時には雲ひとつない晴天。ときには、その幼い心を切り裂くような
雷鳴や、荒天の日々を過ごした少年期。
生まれて初めて「操縦桿」に触ったのが小学校4年生。
ボーイング707のコックピットに飛行中入れてもらい。機長席に座らせてもらって操縦桿を握る。
今でこそ考えられない話なのだが、精一杯の航空会社のサービスだったのだろう。
この一件が「端を発して」憧れが、空キチになったのだろうか・・・・。

泣きながら諦めたエアーラインへの道
自暴自棄になっていたのは、自分の責。
「信じ続けた大人」の裏切りにより、誰も信じられなくなった少年。
その頃から「夢」は少しずつ握り締めた手のひらからこぼれていたのだろう。
「涙が涸れる頃には、嫌な只の大人になる」と誰かが言っていた。
この「嫌な只の大人」の自分勝手な意見。少年の夢を奪い去る発言により、
無力な少年は握り締めた「夢」を全て手放すことになったのである。
先日のこと。娘が私に問いかけてくる。
「お父さんの夢ってなあに?」単純なようで、一番難しい質問だ。
「夢ねぇ~。世界平和とか?」少々いらだちを覚える。私のウィークポイントなのだ。
「そんなんじゃなくて、こうしたいとかないの?」娘も少々いらだっているようだ。
「別にないねぇ~。」少々突き放す。
「あのさ、人間誰しも夢はあるわけでしょ?」
「別に何もないねぇ。こうして立派に育ってくれたし・・・・・いつ死んでもいいかな?」
「ふざけないで、ちゃんと答えてよ!」
「そうだなぁ~。この歳になると・・・なかなか・・・・・自分の生きた証はあるしね・・・・そうだなぁ~」
「お父さんって夢もなくて生きてきたの?」
「夢を見る時代は終ったさ。夢は喰えないからね。」
「もういい!」とうとう娘は怒り出してしまった。この後3日ほど口を利いて貰えなかったが・・・・
誰にも言えない「夢」はある。
あのとき、エアーラインパイロットになる「夢」は涙と共に捨て去ってしまったのだが、少年の頃の夢。「いつかあの空を自由に飛べたらなぁ~」は捨ててはいない。
妻に話すと一笑に付される。
「そうねえぇ。飛びたかったら・・・・体重15キロは落として・・・・あと3億は生命保険に入っても貰って・・・」
「ライセンス取ったら一緒に飛ぶ?」と聞くと、
「嫌!まだ死にたくないモン。」これでは、墜落することが前提のようである。
「あのさ。セスナはジェット機と違って、なかなか落ちないんだけど・・・・」
「でも、落ちない保証はないでしょ?」
「そこは・・・・信用して貰ってだな・・・」
「無理!飛びたきゃ勝手にどうぞ!」

「いつの日かきっと・・・・」と思いながら、今日も空を眺める一日のようだ。
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