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オストドのひとりごと。「もう・・15年ですか・・・阪神大震災・・・」 [ひとりごと]

http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=ent&aid=p-et-tp0-091016-0007



忘れろと言われても忘れられません。1995年1月17日。午前5時46分52秒・・・・・

当時、オストドは住み慣れた関東地方を後にして、転勤命令により、その約1年前・・・・

2月1日に大阪支社に着任。

「やだ!大阪は嫌・・・」

「だったら・・神戸か京都は?それでも嫌なら単身赴任をお願いするけど、許可でないだろうな・・・・」

そんな話をしていたのが、その前年の12月。義理の母が大腸がんを患い手術を受けた翌日。

そもそも・・総合職。つまり、「どこでも行きます」という制度で入社時には、主任挌の給料を得ていた。

もちろん断れば、会社には残れただろうが、完全に冷や飯喰いになる。

会社から打診を受けたのは、その2週間ほど前だった。

「転勤ですか?構いませんが“単身”でもいいですか?」

「駄目だ!単身赴任で来ているKクン知っているだろう?」

「はい。」

「彼の子供がノイローゼになった・・・」

「つまり・・・家族を連れて行けと・・・」

「そうだ!」

「解りました。説得に少々時間をください。ちょっと義母の具合が悪いので・・・」

そんな会話が一緒にいく事になった上司のT氏との間で交わされていたのだ。

「それからな・・これは極秘なんだが・・・」

「はい?」

「廻りは敵だと思え!立て直しでの赴任だからな!」

「はい!」

妻を説得し・・・難関であろう娘は、あっさりと「お仕事なら仕方ないよね」と言ってくれた。

早速・・大阪支社に住居探しを依頼する。まあ・・実際に住むのは自分達だから、その目で確認はするが・・・

さて・・後は病床にいる義母に何て言えばいいのだろう。

義父に相談したところ・・・「社命なら行くしかあるまい」との答え。

幸い、ガン保険に携わっていたときなので、義母の症状が大腸癌ではないかと気付いたのは、私。

そして、優秀なドクター陣により術後の回復も早かった。

妻が義母に転勤の話。単身赴任は駄目との会社の見解を伝えたらしい。

毎日、仕事を終え、義母の病室へ行き、毎日顔を出していた義父を家に送るのが、私の日課だった。

「家族は一緒に居なきゃ駄目!一緒に行きなさい。お母さんは大丈夫だから・・・」

そう言ってくれた義母に心の中で頭を下げる。

すぐさま娘を預け、妻と二人で神戸へ赴く。許された時間は正味12時間。

その中で2軒の候補が残った。大阪支社が探し出してくれた物件。

もうひとつは地震で潰れてしまったテラスハウス。

その時が運命の分かれ目だったのかもしれない。私はテラスハウスではなく、マンションを借りたのだ。

場所は兵庫県神戸市東灘区御影・・・・・

不謹慎と思われるだろうけど、震災が起きたことにより、同じマンションに住む人々やご近所の方と

知り合い・・いや・・・運命共同体になれたのだろう。そして、多くのモノを学んだ。

最後に・・・阪神大震災で亡くなられた方々6434名の方のご冥福を心よりお祈りいたします。


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空飛ぶ食欲魔人

トメサン様
いつもご訪問&Niceありがとうございます!
by 空飛ぶ食欲魔人 (2009-10-16 17:21) 

ku−san

私も30歳台のとき大阪支店に転勤辞令を
もらった時は会社を辞めようかと思ったものです。
いやいや赴任しましたが住めば都。
本社に戻る辞令をもらった時は、部下と泣く泣く
別れてきました。
by ku−san (2009-10-16 21:15) 

空飛ぶ食欲魔人

ku-san様
いつもご訪問&Nice!
ありがとうございます!
そうなんですよね・・・・
私も一瞬そう思いました。結局は住めば都でしたけど・・・
今でも、お昼ご飯の時だけでも、大阪へ帰りたいって・・・(*^^)v

livly-cu様
いつもご訪問&Niceありがとうございます!
by 空飛ぶ食欲魔人 (2009-10-17 08:35) 

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