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僕たちに明日はあるのか VOL23 [ぼくたちのシリーズ完結編]

- 鎮守の森・・・2 -

「頭いてぇ~飲み過ぎじゃなかった。飲まされ過ぎ・・だ。」

僕は手に持った竹ボウキの柄で頭をコンコン叩いた。

僕の記憶があるのは、最初の数時間だけ・・・

その後の僕について、意識があったのかさえ、記憶にない。

僕の中のもう一人の僕に問いかけても、返答すらない。

その代わり、頭痛が代返してきて、とっくに起きてくるはずの

ミサも巫女’sもリリーズもみんな眠りについている。

僕はと言えば、朝も早くいや、性格にはどうなんだろう。

気が付いたときにはし「神泉」で身を清めていた。というより、

「神泉」を張った風呂にダイブしていたわけだから・・・

多分だけど、総合的に判断すれば、またやったのだろう。

「今後‥少し控えないと・・な・・・子供産まれるし・・・」

僕はガンガンと鐘が鳴る頭を抱え、鎮守の森の中を

彷徨いながら、申し訳程度に境内の掃除をしている。

「おう!神主!朝も早くにご苦労さん!」

地区長はバケモノに違いない。

いずれ、呪詛できるか探すとして、今は早くお帰り頂きたい。

「お・・・おはようございます。昨日は・・・ど・・・おえっ!」

頭を下げたら気持ちが悪くなってきた。完全に3日酔いだ。

「あれっぽっちでなさけないのぉ~」

「はあ?・・・うっぷ。」

「たかだか・・・一升瓶の2本や3本くらいじゃろ・・・」

「村中の方々から・・・うっ・・・・で・・何のご・・・用で?」

「祭りじゃ・・祭り。今年はハデにやるからのう。本祭りじゃ・・・」

「はあ・・・言っておきます。うっぷ!」

僕はこれ以上聞いていると、また今夜も飲まされそうなので、

逃げ出すことにした。

まあ、本当にトイレで吐きたくなっていた。何しろ、地区長も

酒の匂いをプンプンさせている。

昨夜は、酷い目にあわされた。多分、この村に住む人々は、

僕が未だ「高校生」で未成年なのを完全に忘れている。と

僕は確信した。

まあ、普通。高校生でパパにはなるケースは稀なことだと思う。

一昨日は、横浜のママの所で大宴会だった。

僕は相当酔っぱらっており、どうやって、車に乗ったのか知らないけど、

ミサが「万一用に持ってきた・・・」と渡してくれた神泉入りの水筒を

抱え込んでいたらしい。

車の中は爆睡していたらしいけど、その後は知らない。

いや、正確に言えば、僕の思考回路は完全に安全弁を幾重にも掛けた

場所にあり、僕の別人格にその身をゆだねていたらしい。

らしい。と言うのは、気が付けば、僕は朝の禊で何倍もの神泉を被り続け、

その最中に覚醒したからだ。

昨夜の記憶を手繰り寄せると、正月と盆と一生分の誕生日にクリスマスが

やって来たみたいに、僕と優子はあの時。結ばれた翌日の夜と同じ様に

村中からお祝いを受けることになった。

まあ、前回と違うのは、見世物は、優子であり、その膨らみがそろそろ

誤魔化せないレベルになったお腹で、僕は、「ようやった」とねぎらいを

受けながらも、グラスに注がれる液体を流し込んでいたのだ。

その怒涛とも言える「飲め!」攻撃を凌ぎ、止せばいいのに・・・

神泉が満たされた風呂に飛び込んだ・・所と、誰か入っていた記憶はあるけど、

すっかり、安全弁は閉じてしまってあるので、その先の記憶は、僕は廊下の片隅で

目覚めたわけだから・・・多分、昨日も同じ様な夜を過ごしていたに違いない。

「でも・・・少しは・・・やらないとまずいよな。」僕は独り言をつぶやいた。

パパになるわけだし、落第だけは避けなければならない。

もしてや、自主的はさておき、強制退学も避けねばならない。

まあ、それだけは、ママにも厳しく言い渡されている。

僕は自業自得だからそれは仕方がないとしても、優子や生まれてくる子供に

容赦ない言葉等が浴びせられるかもしれない。

そうなれば、僕の性格上。どうなるかは火を見るよりも明らかなのだろう。

と・・・なれば、僕は残された時間で、全教科。試験範囲の要点を頭に

叩きこまねばならない。幸いなのは、一読すれば大体頭に入る。

入れる事が出来れば・・・の話なのだけど・・・・

「はぁぁぁぁ」とため息をひとつ吐く。

多分なのだけど・・・無茶苦茶な合格点が設定される気がする。

まあ、自業自得なのだけど出席点数は、どう計算しても15点あればいいほうで、

そうなると、全教科85点。いや、90点がボーダーラインになるだろう。

不思議なもので、つい数か月前までなら、「クビ!」は怖くなかった。

でも、守るものが出来れば・・・それだけは避けなければいけない。

「こらぁから真面目にやらないと・・・」

「ん?あ~ミミか・・・おはよう。」

「おはようじゃなくて・・・掃除。変わるから・・・」

「んっ!ありがとう・・・」

ミミに箒と塵取りを渡した。

- 鎮守の森 3 に続く -

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オストドの「正直な不動産」のお話。VOL.0 [大家のひとりごと。]

-まえがきに代えて-

不動産だけで、ご飯を食べる様になって、10年になる。

まあ、大学の頃に、とある所にある。

アルバイトを斡旋したり、学生向けのアパートを貸したり

そんな所で、ひょんなことから・・・

「ねえ!手伝いなさい!」とお姉さまに、「ごはん」???を

奢ってもらった。その場で頼まれた。

「はあ・・・空き時間なら・・・」

そこで、僕は「アパートのあっせんの仕方」を学んだ。

某百貨店でアルバイトをしていたとき・・・

その時は、面接日に・・・いきなり。「今日から働ける?」と

有無を言う暇もなく。催事場の婦人服バーゲンコーナーへ送られた。

そこで、「おばさま達のさばき方」を学んだ。

売り場の主任さんは、いいおばさまで・・・タダで食券を大量にもらい。

そのおかげで、僕はたらふくご飯を食べられた。

まあ、「社員にならないか?」と誘われるくらいの売上を出していたからで、

僕あhその催事が終了後に、今度は食料品売り場に行くことになっていたけど。

そんなある日。アルバイトの仲間が、「宅建取んねぇからか?」と誘ってきた。

その時は、〇[×]だけで取れたらしい。

素っ気もなく断多tけど、今考えれば・・・もったいないと思う。

その後は、お父様の資産管理で、駐車場(ここはタイムズに一括で出した)。

幼稚園のド真ん前だったので、最終的には、某不動産会社と組んで、

幼稚園の経営しているお寺にトランク3個で売り飛ばした。

お父様が買った時は、2個半だったので、お父様は儲かった。

僕は手数料を少し・・・貰ったくらい。

その後は、バブルの残骸のマンションだったり、ある不動産投資会社へ、

金融機関が融資したら、社長が登記する際、奥様名義にしたので、貸し剥がしの

ビル等の管理をやっていた。

まあ、僕の懐も時々儲かったのは言うまでもないことだ。

東日本大震災でお父様の会社の建物がやばそうだった。

修繕すべきか?建て替えか?

お父様に相談すると・・・少々。「躁状態だったお父様」は、

「お前に任すから・・建て替えろ」と言い・・・・

お父様の代わりに、建設会社の選定から打合せをやっていた。

ある日。

「お前の名義にしろ・・・・」

「お金ありませんが・・・」

「金は出してやる・・・」

所有していたマンションの一階店舗に入っていた。

とあるドラッグストアー。散々、値引き交渉をしてきたので、

「出ていけ!」と追い出し・・・・

空いた。スペースに、整形外科に耳鼻科、調剤薬局が、とある

医療コーディネーターにより入居したので、

「さあ!売るか・・・」と・・・

実は、不動産会社と相談していたら、買値からトランク1個分ほど

値引きしないと売れないことが分かったので・・・

「満室売買」を企んだのだ・・・・

結局、トランク1個分くらい改装費につぎ込んだ医療コーディネーター会社が、

税理士事務所と組んで新しい会社を興し・・・当初。付いていた値段に

トランク2個追加して買ってくれた。

この時の売買した代金で、税金などを差っ引いて・・・・お父様の手元にあった。

まあ・・・その時。僕は「いずれ・・・か・・・」と考えていた。

すっかり、あれほど恐れていたお父様は、見る影もない。

ニコニコしているお爺ちゃんになっていて・・・時々、血圧を上げる事。

これを実施し続けても・・・多分、10年はないと思っていた。

まあ、これまで、3回ほど。くたばりかけていたけど・・・

もう。不死鳥の如くはなさそうだった。

「判ったよ・・・・」

僕は、相続時精算方式で、2500万円。(限度額いっぱい。要税務署届け出)と

金銭消費貸借。(収入印紙を貼って・・・トランク何個?)

そして、土地の使用貸借をお父様と結んだ。

土地の使用貸借契約とは、「底地権」はお父様で、固定資産税はお父様。

地上権は、僕で、賃料の支払いが必要。(踏み倒した・・・)

既存建物の解体費用を僕が負担(借りたお金だけど・・・)で、相続時はラクだった。

借地権は、僕にあると土地家屋調査士のお墨付きをもらったので、底地権分

つまり、相続路線価x㎡数x底地権(30%だった)わけで、

都内とある所の土地。相続路線価23万円330㎡で、本来。7590万の所。30%。

ドンと減って・・2270万。税率は明かせないけど、法律に従ってやれば・・・

節税が出来たわけだ。

出来れば、お父様が亡くなる前に、金銭消費貸借契約を焼き捨ててくれていれば、

そう思ったけど・・・

お父様が残してくれた。その他に振り込まれたお金で、相続税は支払いが出来て、

相続した「株券」は、僕が持っていることに危機を感じ取った会社さんが、

僕の退職金上乗せ分込みで、1株〇〇円だった。相続時価格の190倍で買ってくれた

まあ、その後。国税に市県民税で、数千万持っていかれたけど・・・仕方がない。

僕が建てた。都内のその建物は・・・・「神セブン」と言われ・・・

まあ、こだわりを詰め込んだので、割安感があるらしい。

僕に一日当たり、数万円もたらしてくれているわけだ。

本当は、これだけでも、充分ごはんは食べれるのだけど・・・・

お給料はどうでもいい。趣味で始めた会社が、3つある。

これは敢えて説明しない。

税理士に言わせると・・・「グレーデスケド、ブラックじゃありませんし・・・」

つまり、合法上の節税はしているけど、脱税はしない。

僕がまともにお給料を貰っている会社で言えば、僕はその会社のお給料に見合う

源泉所得税(2社目からは、甲ではなく乙になる)も、社会保険料も払っている。

つまり、人様にどうのこうの言われない様になっている。

その会社でも、「法人格の大家さん」をやっている。

記念すべき、1棟目は、近くの地銀さんに法人口座の開設に行ったら、

「コレ買いませんか?」と支店長と営業次長に勧められ・・・

「お金ないけど・・・」

「ご融資させていただきます・・・この金額全部!」

その半年後。この物件は僕の会社の所有物件になった。

そんな話を施設暮らし(後妻が放り込んだ・・・)だったお父様にしていると・・・

「そうか・・・がんばれ・・・」

この一言が最後だった。

僕の誕生日から、3週間後。台風の嵐の中・・・旅立っていった。

知らせを聞いて車を走らせたけど、着いてもお父様は、寝たままだった。

それから・・・約8か月。争続。つまり相続でケンケンガクガクやった。

まあ、僕の勝利だった。最終的には「姻族解消届」まで出して、

僕は全てのしがらみから逃げ切り、お父様に約束した「敵討ち」もした。

使い込みの証拠をたたきつけ、雇われた税理士に弁護士に謝罪させて・・・・

僕はその6割以上。実質7割になるお父様の遺産を貰った。

まあ、お父様が眠る墓地は貰えなかったけど、自宅にある位牌には、

お導師様が、魂入れをしてくたので、お墓まで行く必要がない。

その後、気が付けば、金融機関だけの借り入れ8億円あまり・・・

建設協力金や資金調達などで、トランク10個近くになった。

毎月の返済は、300万を超えている。

ここではっきりとさせておくのは、僕も僕の会社も投資会社ではない。

「個人格・法人格の別はあるけど、大家業」だ。

ここまで規模が拡大してくると、気が付いたことがある。

「不動産会社に正直者は存在出来ない」ということだ。

逆に、正直者に当たれば、「こいつ大丈夫か?」と思う。

特に、中間管理職。下のミスを被り、上からの叱責を一人で負う。

そんな、「天然記念物に近い人間」は必ず潰される。

僕が節税でグレーゾーンを狙う様に、不動産会社はギリギリ錯誤を狙う。

例えば、今はやりの「10万円で・・・:」だ。

10万円の投資で4.5%の配当だと・・・4500円。

満額貰えて・・年間4500円。これでどう老後に備えるのだろう。

ついでに言えば「匿名組合型投資」。所有権を登記されない投資なので、

その投資に見合う安心資産でないわけだから、譲渡も相続も相手次第になる。

何しろ、「元本保証」はどこにも謡っていないし、確定利回りでもない。

配当4500円と言うのは、どこから来るのだろう。

多分・・・「はは~ん。アレか・・・」と判るけど、種明かしはしない。

この業界。正直者はバカを見る。投資感覚でやれば、痛い目を見るリスクはある。

大家業でやってもリスクはある。

保健でカバーできる範囲はカバーしても、空室リスクゼロは、絶対にない。

「一括借り上げ」だって、2年経過すれば、退去清算金やら2か月の賃料免除を喰らう。

まあ、これからどうなるのだろう。

少なくても、僕は実際の仕事では、狸時と狐の化かしあいに参戦しなければならない。

でも・・・せめt、ここでは正直者でありたいと思う。


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オストドの「正直な不動産」の話。VOL1 [大家のひとりごと。]

- 第一章 リスクについて考えてみよう。 -

不動産は大きな買い物だ。少なくとも、一般庶民においては

一生に一度あればいいほうだ。

独身時代にマイホームを考える人は少ないだろう。

昔より今。正確には円安進行する前の頃は、金利は安かった。

「金利が安い今・・・」バカみたいな誘い文句が流れ飛んでいた。

「家賃を払うより、マイホーム」等。何も知らない庶民を錯誤させる

言葉に騙される人もいる。

マイホームの夢を叶えるには、まず、リスクを考えねばならない。

時々ではあるが、僕は「コンサル」もやっているので、質問を受ける。

家を買おうとしている若夫婦の「夢」は壊したくもないが、甘い考えや

そこにあるリスクについて、僕はストレートに話す。

「今度。家を買おうかと・・・賃貸勿体ないですし・・・」

「そうだね。見た目はね。リスクは考えたことがある?」

「えっ?」

「ローンの組み方は?1馬力?それとも、2馬力?」

酷い話である。人間である彼らを1馬力=1人。として計算している。

「ええと・・・当面。共稼ぎで・・・」

「ふう~ん。そこにあるリスクに気が付かない?」

「えっ・・・」

お判りだろうか?仮に「おめでた」にでもなれば、当面は「1馬力」だし、

出産後も2馬力の満額の稼ぎはない。

ましてや、保育園に入れれば・・・その費用も考えねばならない。

「おめでたい」話も「おめでたくもない」話になってしまう可能性もある。

そして、もう一つ「おめでたくない話」は、離婚の二文字だ。

不動産会社や建売業者は、「ペアーローンが宜しいかと・・・」と言う。

確かに、夫婦共有名義(ペアーローン)にすれば、メリットの享受もあるけど、

もうひとつ。デメリットがあることを、専門家である彼らは説明しない。

つまり、どちらか一人が返済不能の場合、残された一人がその残金を背負う。

まあ、も0う一人が事故や病気で亡くなれば、団体生命保険で、残金は払われる。

ところが、である・・・・・

まだ、他にも「十大疾病・・なんちゃら」なんてのもあるけど、

もうひとつの病気。「離婚の虫」が騒ぎ出したら・・・・

どうなるのだろう。

一番大変なのは、浮気による離婚ではなく。考え方の相違による離婚だ。

慰謝料の発生しない離婚だったら・・・と、考えると、心臓に悪い。

例えば、奥様だった人は「売りたい」。旦那様だった人は「売りたくない」

こうなれば、旦那様側は、奥様から、奥様のローンの残債を一括で払うか

慌てて金融機関に飛んでいき、ローンの組み換えを依頼することになる。

勿論、奥様が支払い済みの分についても、応分な負担は必要だろう。

そして、バカバカしい話だけど、共有部分(相手側持ち分)の売買契約書

不動産会社の手数料は、「売買代金の3%+6万円の消費税」を支払い。

勿論、弁護士や司法書士等も頼まなければならない。登記にもお金はかかる。

これが目に見えない。リスクの代表格だろう。

今、仲良くても・・・・明日。性格の不一致で離婚する場合もある。

これが、2馬力でローンを組んだ場合の、最大のリスクなのだろう。

次に考えるべきリスクは、設備リスクだ。

建物にもリスクはあるけど、その点は保険でほぼ賄える。

まあ、設備もリスクの殆どは保険で賄える。

但し、保険のかけ方のリスクもある。

僕は、一応、「特級資格(一般)」を、保険代理店勤務の時に取得した。

そして、僕の保険知識は、あの天下の「T社」で学んだので、

少しその辺のお話は次回にでもするとして、今回は「担保されないリスク」を

説明するとしよう。

大体、マイホームローンを組んだ場合、30年から35年のローンが多いはずだ。

借入金額 4000万円 期間 35年 420回 金利0.65% 固定金利 ボーナスなし。

これで計算すると・・・月々の返済は、10万6507円になる。

返済総額は、4473万3157円 支払利息は473万3175円 計算すると約44.44回分が

金融機関へ支払う利息になる。

購入の際、火災保険=借入金額で、担保を取られる。

この時、担保に取られるのは、土地・建物(1番抵当)火災保険(担保設定)そして、

団体信用生命保険=借入金額の残高設定。

ここまででも、充分に嫌な話かもしれないが、地震保険(地震特約)は、建物・設備は、

50%しかかけられないので、4000万の物件だったら、2000万出ればいいほうだ。

いい方だと言うのは、地震保険の支払金額には、上限があることだ。

その上限金額は、12兆円しかなのか?もなのかはさておき、上限が決まっている。

仮に、未曾有の大震災が発生したとしよう。被害金額(地震保険加入ベース)で

24兆円の被害が出たとすれば、支払われる保険金は、1000万になってしまう。

これもリスクのひとつでもある。

設備も地震で倒壊破損があれば、地震保険で賄われるが、自然劣化は建物も設備も

そんな特約があれば別で。それ以外は、本人負担となる。

35年住むと仮定すれば、外壁塗装(小修繕含む)で、3~4回。家の中の設備として

トイレの交換(2~3回)。台所やお風呂(2~3回)、エアコンに関して言えば7回。

給湯機も多分2~3回。クロス交換や建具。窓ガラスやサッシ。網戸・・・様々な

交換リスクは全部自分で背負うわけだ。

これだけで、軽く1千万くらいの出費になるだろう。

これが、賃貸なら、勿論、全額大家負担だ。

そして・・・マイホーム建設には、もうひとつ。「嘘の様な本当の話」もあるけど、

それは、またの機会に譲ることにする。


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オストドの旅後始末「北の国へ」 [旅行記・旅関係]

コロナ騒動になる直前。オストドは香港の空港。喫煙室ではなく、

喫煙スペースに何故か往路・復路共そこに居た。

香港を経由してバリ島。ビジベスクラスを買っても安かった。

出発前に空港使用料を払えず、機体を差し押さえられた等の

噂は聞いたけど、無事にバリ島へ飛んだ。

つまり、この往路・復路の途中とついでにバリ島からの帰路

バリ島の喫煙スペースでも、蜜状態だったけど、

会話をするわけもないので、新型コロナにならずに済んだ。

その年。半分以上諦めていた初孫を抱いたときは、うれしかった。

でも、その後。オストドの体調はみるみる悪化してゆき、

頼みの「救心」すら効かなくなって、病院へ行ったら、隔離。

そして救急車でコードブルーの撮影協力病院へ連行され、

「緊急でカテーテル手術」心筋梗塞だった。

今では、オストドの心臓には、ステントが3本入っている。

「煙草やめましょうね!」とドクターに言われたけど、

「人間辞める」

そんなオストドを無言の圧力で禁煙させたのは、やはり

「孫」だった。

検査入院も済ませ、「ほぼメストド1号専用車」として、

昨年3月に納車された。「2代目CX-5」は、1年経っても

走行距離は圧倒的に少なく・・・・

「バッテリーの劣化がみられるので・・・乗ってきてください」

ディーラーからの言葉だった。

メストド1号がある日。

「そう言えば、3年ほどどこへも行っていない」と仰せになった。

「だよねえ~じゃあ!距離出しに・・・行ってみよう!」と

考えてみれば、メストド1号のお父さんが亡くなって・・・・

「墓参り行ってないじゃん!」

そんなわけで、「北の国」へ行くことにした。

大洗港から、商船三井フェリーが運航する「さんふらわぁ」

今回は日程の都合上、往復同じ船。「さんふらわあ ふらの」

往路はプレミア。復路は1室しかない。スィートをチョイスした。

まあ、ダメにした航空券は置いといて、久しぶりの旅なので、

ちょっとばかり、「奮発」した。

丁度・・ヨーロッパ発券のLOTポーランド航空のビジネスクラス。

お一人様往復分くらいになる。

でも、「シップは上のクラスに乗って置け!」誰が教えてくれたのか?

もう、忘れてしまったけど、2回のエーゲ海クルーズも、」上のクラスだったし、

僅か1時間に満たないフェリーでさえもそうだ。

飛行機の座席も最初の頃と違う。エコノミーだったはずの定位置は、ファーストや

個室スィート、ビジネスは当たり前になってきている。

だから、メストド1号に話しても、「ふぅ~ん」だった。

まあ、いざ乗ってしまえば、プレミアムクラスで、「これくらいがいいわね」

スィートでは、「もったいない」久しぶりに勿体ないオバケが出た。

宿の方は、1泊目は全館スィートの宿で、お食事場所で宿泊料金は、大幅に変わる。

全室露天風呂付。ついでに、部屋のテラスからは、花火が観られる。

それもソファーに座って・・・・。

何故だか判らないが、コーナーテラスにアップグレードされ、花火も観た。

でも、この宿はあくまでも序章。

勝負は2泊目。つまり、メストド1号のお誕生日前日の宿。

ニセコ・蘭越町に属するこの宿は、全12室。勿論、お部屋の露天風呂も

前日同様、源泉かけ流し。

次から次へと出てくるお料理。特に特筆すべきは、目利きの良さと

「出汁」にある。出汁を使った料理は、同じ出汁は使われていない。

食前酒ですら、ひと手間加えられた逸品だった。

朝食も、必死に胃袋に詰め込んでも・・・「ごめんなさい」となる。

何しろ、12・3品についでに「納豆も卵」もありますが・・・」には、

食べる前から、白旗ものだった。

この宿は教えたくない宿になった。

最後の宿は、札幌の奥座敷。昔からある旅館がリニュアルされたお宿。

コース料理を食べ・・・・テーブルには、ロウソクが灯されたケーキ。

ウン十回目のお誕生日は、メストド1号にはきつかったと思う。

オストドとメストド1号の味覚は違う。

お子様味覚のオストドとこだわりの舌を持つメストド1号の折衷点のケーキは

生チョコケーキが妥協点になる。妥協点だけれど、お誕生日のケーキは、

二人で半分ずつ・・・4号サイズでさえ、胃袋は悲鳴を上げる。

実質的な最終日。「北の国」最終日の今日は、200キロ走行。

定山渓~中山峠~壮瞥~洞爺湖~白老~苫小牧。全て下道を走り切った。

そして、「旅」の最後は優雅なはず?の船旅。

まあ、メストド1号曰く・・・・

「これから、北の国へは船がいいわね・・・」だそうだ。

- あとがきに代えて -

冷蔵庫にあった。地域限定ビールは、友人に献上した。

因みに、来週は沖縄・石垣島への旅が控えている。

その一月後、オストドとメストド1号は、羽田空港内のホテルにいる。

早朝に着く。孫とそのお供のメストド2号の迎えだ。

多分、コロナで行けなかったお宮参りにも、大きなプールで一緒に流される

そんな為にも・・・旅に出る。

今考えているのは、有り余っているマイルだ。

メストド1号の気が変わって、「行くか!」となれば・・・

孫に会いに・・・マイルでビジネスクラスの旅も出来るかもしれない。

まだまだ・・・オストドの旅は続くのだろう。


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